水の動きを可視化する,シミュレーション
生きること,それは,水がからだをめぐること。全身の細胞が酸素を得るのも,栄養を得るのも,二酸化炭素を排出するのも,老廃物を排出するのも,細胞どうしがコミュニケーションをするのも,からだを水が流れ,水がいろいろなものを運ぶからできることなのです。
水は,からだのすみずみを縦横に,しかも,一定の秩序をもって流れています。あなたが今,コップ1杯の水を飲んだとしましょう。たくさんの水分子は,のどを下り,胃に流れ落ち,小腸と大腸の細胞から血管の中に取り入れられます。
水の行き先は様々です。血液として心臓から送り出される水,腎臓から尿として体外に出される水,汗として皮膚で蒸発して私たちの体温を下げてくれる水,リンパ管に入り免疫細胞を運び外敵と戦う手助けをする水,消化液として胃から分泌され食べ物を溶かしこむ水...
水はからだの中をめぐります。そのたくさんの水分子のそれぞれがこのあとどうなるのか,すべて説明できる人はこの世にはまだいません。
いったいこの水たちは,どこへいくのでしょう?いつでも,どこにでも,たくさんある,小さな分子,水。どうすれば,目的の分子だけを区別できるのでしょう。ここに,研究の難しさがあります。ここでは,からだを流れる水の解明に関する研究を紹介します。

めぐる水は謎だらけ
私たちは毎日飲み物や食べ物から水分を摂取し,またそれらを尿や便として身体から排出しています。では摂取から排出までの間,からだの中をめぐる水分子は,体内のどこをどのように流れるのでしょう。からだ全体の水の分布と流れを理解するための研究が進められています。
水の流れのシミュレーション
ヒトのからだの6〜7割を占める水のうち,5%は血液として血管内に,40%は各臓器の細胞内に,のこりの15%は血管と臓器細胞の間の「間質」という部分に間質液として存在しているといわれています。水分をとりすぎると,血液や細胞内の水ではなく,間質液が多くなります。手足や顔がむくむのは,この間質液がたまった状態をいいます。
そこで,間質液をはじめとする水の流れを知るためには,各臓器に達した水がどのような速さで血管,間質,組織の細胞に流れていくかのシミュレーションモデルが開発されています。これにより飲んだ水分子が,どこに,どれだけの量,どんな状態にあるのかが予想できます。これまで誰にもわからなかった,水分子の行き先が,詳しくわかるようになるかもしれません。

水分子の動きを直接見たい!
水が透明で,組織のなかでの動きを直接的に観察できないことも,研究を難しくしている理由のひとつです。近年,水が上皮細胞の層の内外をどう拡散していくかを,直接観察することも可能になっています。使われているのは,日本に数台しかない水分子そのものを観察できる特殊な顕微鏡、CARS顕微鏡です。
CARS顕微鏡は、ラマン散乱という現象を使っています。散乱とは、物質にあたった光の一部が、四方八方に散らばることで、大部分の散乱光はあてた光と同じものです。しかし、ほんの一部の散乱光は、当てた光とは違った光になって散乱します。これは光のもつエネルギーの一部が水分子とやりとりされたことで起こる現象で、ラマン散乱と呼ばれます。ラマン散乱の仕方は、物質によって決まっています。そこで、水分子に特有のラマン散乱に着目し、さらに2つの光をつかってその違いを増幅することで、水を直接観察することができるようになるのです。
球形のふくろ状に培養された上皮細胞を用い、CARS顕微鏡で、水がどのように透過するかを測定することで、細胞内外における水分子の動きを調べることができます。ここで使われるのは、ある条件でラマン散乱を起こす水と、起こさない水、重水です。重水とは、少し重たい水素と酸素でできている水のことです。水と重水を交換しながら、ラマン散乱をCARS顕微鏡で観察することによって、水が上皮細胞の層の内外をどう拡散していくかがわかります。球状に培養した細胞ボールを水に浸し,CARS顕微鏡を使って水の移動を観察すると,水はわずか3秒で細胞ボールの内側に入りこみ,内外で均一になることが明らかになりました。細胞の内と外では,とても早いスピードで水の交換が行われているようです。しかも実際のからだの中では,その水の交換が緻密にコントロールされて,からだの血液や細胞の中の水が細胞の外に流れ出てしまわないようにバランスを保っています。

細胞ボールの中の水は,周りから数秒遅れて抜けていく。
からだの中をかけめぐる水
研究を進めていくと体の中を水が縦横無尽に,それでいて秩序をもってかけめぐっていることがわかってきます。まだまだ謎に包まれている水の動きですが,これから少しずつ明らかになっていくことでしょう。私たちのからだを,水がどのようにめぐっていくのかより深いレベルで理解できるようになれば,私たちと水との付き合い方も進化していくはずです。食事の前後や激しい運動をした後など,状況に合わせた体にいい水分の取り方を知ることにもつながると期待されます。
脳の中にある,水の新たな通り道
頭がい骨の中は、脳 脊 髄液や間質液などの細胞外液に満たされていて,脳はその液体に囲まれています。脳が正しく働くためにはこの細胞外液の制御がかかせません。今、血管と脳細胞の間にあるわずかなすき間とそこにある脳脊髄液の流れに、世界の注目が集まっています。
脳内をたえずめぐる水
私たちにとって脳はとても大切な器官です。そのためか、脳は頭がい骨だけでなく、硬膜、くも膜、軟膜と呼ばれる3層の膜に包まれ守られています。今回注目するのは、くも膜と軟膜の間。そこには、脳脊髄液があり、絶えず循環しているのです。ヒトの脳には、約130mLの脳脊髄液があるといわれており、24時間に約500 mLも産生されていることから,1日に約3〜4回も入れ替わっている計算になります。よく口にするジュースのペットボトルとほぼ同じ量のこの液体、頭の中でどういう道筋をたどって、どこに行くのでしょう? 実はこの問いへの答えが、私たちの脳の健康に大きく関係していたのです。
夜間は脳のお掃除タイム?
脳脊髄液の通り道として注目されているのが、脳の内側に入り込む血管と大脳を包む軟膜の間に空いている、わずかなすき間です。脳脊髄液は、このすき間を通り、脳内を循環すると考えられています。さらに近年、脳が睡眠状態にあるときは、起きているときにくらべて、脳脊髄液の循環速度が上がることがわかりました。ここから、脳は睡眠中に血管のまわりのすき間をぐっと広げることで、脳の老廃物を流し出すスピードを上げているのではないかと、と考えられ始めています。

脳の水の流れを解明して健康に
脳脊髄液は、脳の血管の周囲のスペースなどを常に流れることで,老廃物を取り除くだけでなく、脳細胞に酸素や栄養を供給し,シグナルを伝達するなどの役割を担っていると考えられます。今後、水の流れが詳細に解明されることで,新しい薬や治療法,睡眠と覚醒のサイクルの解明など,より健康に過ごすための方法が明らかになることでしょう。